4.22

 

 

土・日曜を通して、大学の学科の主宰する合宿に参加した。ほぼ全員が参加することになっている。

他県にある大学のセミナーハウスで一泊二日を過ごす。高速バスに乗り、着いたら談話室で自己紹介をして、共同の浴場を使って、少人数でグループディスカッションをして、懇親会と称してお菓子を食べながら会話して、相部屋で布団を敷いて寝る。なるほど、これだけ用意してやれば、どんなコミュニケーション障碍者でも人間関係の嚆矢くらいは見出せるというわけで、それは僕も例外ではないぞ。
流石の僕であっても、趣味の領域における、各人の共通項を見出して、そこで会話を繰り広げられる、その程度の公共性は備えている。と自分では思っている。その証左として、十分友達と呼んでいい人間はできた、さらにちゃんとした会話にはなったことを挙げておく。(アニメの話題は便利^ ^
 
しかし談話室で同じ学年の人間と会話をするなかで、ちょっとした不安を感じていた。というのも、話の内容が、高校生のするものと殆ど変わらないのだ。というかメンタリティが高校生の延長だった。カッコだけは一丁前だけど。いや、皆が皆、未知の刺激的な話であるとか、そういう話をするわけではないと、そんな事は重々承知だった。それは僕の勝手なイメージだし、そもそも期待もしていない。しかし、まあ、とりあえずは大学生としてここに来ていて、安くない合宿参加費用まで払っているんだから、然るべき場になれば、なにかスイッチが入って、然るべき雰囲気になるだろうと、そうなんとなく思っていた。
 
さて、そうして少人数のグループディスカッションがはじまった。各自クジを引き、六人程度でランダムにグループを作る(ぼっちにも安心)。部屋を分け、一時間与えられ、各自ある主題に対して書いてきたものがあり、それについて議論し、グループとしてそれを纏める。
そうそう、そういうのがやりたかったんだよなあと思っていた僕は楽しみで意気揚々としていた。しかし、意識の隅に追いやっていた、前述のなんとなく抱いていた不安が、グループディスカッションの時間が来て、確たる恐怖と失望に結実する。
 
恐ろしくつまらなかったのだ。
 
与えられた一時間が、高校生の延長のような、そういう話だけで終わったのである。ええー。
僕はほとんど何も話さなかった。話はしたが、期待したような刺激や面白い事柄は何ひとつ話さなかった。ただ目の前で繰り広げられる、何の意味もない、何も齎さない、金を払って得るだけの価値も全く無い、市井の延長であるつまらん会話に、ただただついていくだけだった。
別にそういう会話が悪いとは思わないが、何故今それをやるのか。どうしてそういう、何処でもできるような会話を、こういう場でやろうとするのか。怒りがふつふつと湧いてくるが、しかし僕の顔はいたって笑顔。(^ ^)ニコニコしている。生ぬるい会話にうなづいている。
僕は人間と対立がしたかった。話がしたかった。そのために独学ではなく、わざわざ大金を払って、借金をしてまで、大学なんぞに籍を置いているのだと、そう自分では思っていたのだけれど。
 
一時間経ち、談話室に再集合する。そうしてディスカッションの結果と称して、自分たちのグループの一人が壇上に立ち、急ごしらえの内容のない発表をヘラヘラとした。何も語っていなかったのだから、そりゃそうだ。
 
ショックだった。あまりにもショックだったのでそのあとの懇親会を中座し、相部屋に一人引き返して、布団を敷いてうずくまった。
初っ端からこれだ。これから四年間ずっとこうなのだ。自嘲した。自分の入学という選択を呪った。いまや溢れかえりすぎて飽和状態の、大学に対する深い失望をうたう大学悲劇詩人に転職しようかとも思った。つまらん人間ばかりの所に入ってしまった。もっと面白い人間に出会えると思ったのにのう。
 
が、しかし、つまらん人間ばかりであると、さてあの場で一番つまらん人間だったのは誰だろうと考える。言いたいことを何も話さないで、ただニコニコして、上っ面のサーフィスだけの、薄っぺらい高校生の延長の会話をしていた人間。自分のことだ。
自分がつまらん人間だから、つまらん人間しか集まらないのだろうと。なるほどそう考えると納得だ。確かにあの場で一番つまらんのは僕だった。自分が一番つまらんくせに、他人に面白い事を言うのを求めるのもなかなかおかしな話だ。
あの場では、僕が空気を読まず、クソ真面目に話をするべきだったのだ。別に僕が孤立したって良いが、そうすれば周りだって馬鹿ばかりではないのだから、それに呼応して、少しはマシになるのではないか。
僕がつまらんから、周りもつまらんのだ。そういう事を考えながら、眠りについた。
 
翌日にもまた似たグループディスカッションがあった。さてそういう反省があったので、とりあえず薄っぺらい話をするのをやめて、仕切りたがりで言いたいことを言うクソ真面目で空気の読めない残念な人間になろうとする。そうすると、面子にも恵まれたのだろうが、それなりに腹を割った面白い話ができた。なるほどなあと思いながら、しかしやっぱり“友達”からは多数敬遠された気がするが、その過程で話の通じる人間と一人知り合うこともできた。こっちの方がいい。
 
 
とりあえず、お前は呪われてあるべきだよと、ちゃんと相手に言う必要があって、そうして関係を整理するべきなのだろう。
大学では、広いだけの浅い人間関係よりも、もう少し深くお互いの腹の内を抉るような衝突に満ちた人間関係を模索してみようか。まあ、来年あたり孤立して、おのれの境遇を呪ってなければいいが(⌒▽⌒)