4.15

 

 

高校は男子校で、卒業までの三年間、しばらく女性と接点を持つ事がほとんどゼロだったから、男子校生の麻疹であるところの、いわゆる対異性恐怖症というものに自分も罹っているのだろうと思っていた。実際、男子校というコミュニティは物凄く快適だった。中学校で女性に対してはあんまりいい目に合っていなかった記憶もあって、さて無菌室のようなこの環境に慣れてしまうと、果たして外界に出たときのショックはいかほどのものだろうと少し心配にもなったりする。

しかし、いろいろな成り行きで大学生になってしまった結果、数ヶ月前までは想像もできなかったような、半分以上を女性が占める野生のサバンナ環境にいきなり放り込まれることになってしまった。大変だ。ところが、僕は赤の他人に囲まれた環境で過ごしたこの一週間、特に異性とのコミュニケーションで困ったことにもならなかったし、思ったよりも他人に対し挙動がおかしくなることもなく、囲まれても極めて冷静を保てている。おお、何故か。そもそもまともな付き合いをするまでの友達ができないからなのでした。
 
しかし同時に、あれ、異性ってこんなものかと思う。一般に想起されるような、恐れられている、見ただけでその存在が強烈に焼き付かれる、そういう強烈な存在作用というものをほとんど感じなかった。たしかに見た目はそれなりにカワイイのだろうけれど、それだけだ。カワイさも肉体の視覚に作用する限界というか、そういう作用なら、肉体の限界を超え、カワイイを極端に肥大化させデフォルメする二次元の「女性」のほうがよほど強力である。
それで自分がしばらく視覚による属性にしか注意を払っていなかったことに気づく。そういえば異性という情報の更新を二次元にばかり頼っていた。視覚による作用は甚大だ。しかし、やっぱり限界がある。結局は五感の一形態でしかなく、それで露わにできるコギトの領域などたかが知れている。そもそもなまじ眼があるから見えないのだ。視覚なんかで異性を見定めるのは人間だけだ。
いまや、触覚も、聴覚も、味覚も、嗅覚も、全て視覚の奴隷に成り下がった。なにが素朴実在論の崩壊だ。周りでは素朴実在論は確かに現前して、しかも高らかに勝利を収めているぞ。ばか哲学者どもはこんな事にも気づけないのだなあ。
視覚が万象の王者になった。だから視覚だけの存在である二次元が、視覚以外の感覚を強く隷属させ、われわれに起因する現象のフェーズに干渉しうるとなどというようなおかしな事が起こりうるのだ。(二次元に関しては、聴覚もまた大変な暴力であり、その象徴たる声優の、暴力にあてられ動揺したオタクが何かの勘違いをし、その衝撃への供物として声優に香油を注ぐ、なんて現象は珍しい事ではない)視覚なんぞのせいですべておかしくなる。
情事は純然たる夜の帳の中で行われなければならないぞ。視覚はあまりに感覚を引っ張りすぎる。目を瞑ってもそれとわかる肉体こそ、おそらく感覚する限りで、最も真なると感ずるであろう物に一番近い感覚なのだ。
 
たまたま座った講義の席の、前の人の肉体の発する臭いが素晴らしい時は大変だ。公共の場で抱いてはいけないような感情が次々に湧いてくる。顔なんか見えないが、その発する臭いが身体をかけめぐる。香水というものはよくできていて、鼻腔から乱暴に侵入する獣、そいつが上手に脳を避けて直接脊髄にするどい爪痕を残すようにできている。理論性などという馬鹿馬鹿しいものをまるっと抜きにして、ただ燃えるような結果だけをもたらすように巧妙にメークされている。嗅覚はフェロモンの受容器官に直結している。視覚を遮断すると(寝てました)その臭いの至上性がより激しく立ち現れてくるのである。これが本来の異性存在だ。ずっと恐れていたものの片鱗がこれだ。恐るべきポルノだ。
 
 
何が言いたいかというと、つまりは最高の視覚存在である翠星石ちゃんが肉体を持つのであればこれに勝ることはないということでした。(´∀`)(ドールだろという野暮なツッコミはなし)