紫煙

  gennaion pseudos o(‾◡◝*)
 

 

どうも最近になって、ようやくではあるが、かの遠目に眺めていた霞の、確たる容貌が見えてきたような気がする。霞のあるべき所に、折り重なる肉体の連なりと、その中心に聳える巨大なグレーが空気遠近法で描画されているのをはじめて発見した。それが霞の形状だった。大学と呼ばれていた。

第一の接触は四ヶ月ほど前、深遠たる御簾の、その向こうの霞の眼前に招集された時。そのときはじめて間近で眼を凝らして、遠目で見ていたこの巨大な霞を観察してみたとき、最初にはっきりと見えた形状は、その霞に収まりきらぬ、何かを手繰り寄せるかのように長く伸びた、鋭く尖った鉤爪だった。これはどうも穏やかではない。そうして今まで観察を続けた結果分かったのは、霞のなかに鎮座する何か、そいつはさしずめ鋭い爪を生やした、巨大で貪欲な毒虫といったところ。しかも面白い習性を持っていて、こちらがひとときも目を離さなければただの無益無害な肉の塊でしかないのだけれど、ひとたび踵を返してこちらが背反すると、とたんに追跡を開始し、背中の肉を鉤爪で引っ掻こうとしたり、逃げ足を引っ張ったり、後ろ髪を掴もうとおぞましい脚を伸ばしてくるのだ。

さて、今日もそうしてその怪物との睨み合いを敢行し、徒然二時間ほど経ち、その挙句、追い出されるように鉤爪の地面を抉る音から逃げ出して、命からがら市井に増殖するカフェ群のひとつに逃げ込んできた。どうも奴はここまでは追わないという事も、観察によるひとつの発見だった。
大学というのは、宛名をいつも間違えるもので、その啓蒙は本来届けられるべき宛名に基本的には届かないものらしい。受け取った人間もその啓蒙に納得する事は無く、一方でその対照の空の郵便受けには、届けられるべきであったとの一抹の蓋然性を投函する。だから歯がゆくて仕方が無い。そういう理屈を当てはめると、大学というものと苦闘している人間の、そのバックボーンというものは、だいたい説明がつくように感じる。
 
 
 
いつのころからか厄介な病にみな罹患しており、身体の表面に現れる蕁麻疹の如く、どこからともなく湧きつづける大量のカフェ群は、その発作の症状であるように思えた。
ずいぶんと何もしない事ができなくなっていた。高度すぎるのだ。何もしない状態がしばらく続くとそれに耐えられなくなり、身体中が巨大な毛虫を這わせたかの如く、痒くて仕方なくなる、次第に水面下の恐怖が勢いよく沸騰してきて、皮膚を泡立たせ、なにかが氷のような手で心臓をがしと掴み、そうして理由のわからない怯えに打ち震えはじめる。暗闇にひとり閉じ込められると、何も害悪たるものが居ないのがわかっていたとしても、身体の底から震えが浮かび上がってくるのを止められない、それと同じように。
 
やたらに重いドアをわずかに残った力で必死に押すと、さも重大な仕事そうに、取り付けられたベルがけたたましく騒ぐ。一瞬散る視線どもに、眉をしかめながら少し歩いて、品書きには目もくれず、すこしの小銭をカウンターに置いて、エスプレッソ、と一言だけ吐き捨てて空いたテラス席に腰を落とした。この片仮名の羅列も、理論のためのただ知っている作法、ジャーゴンのひとつというだけで、その意味は、機械的かつ、ただ極めてドライで単純な因果の関係でしか理解しなかった。この鍋にかけた泥のような、果たして飲み物かどうかも定かでない物の名前の種類やまして味など、どうでもよかった。
直線形たる白熱の光線が腕をじりじりと焼いてくるのには、とりあえずさせるようにしておいて、身につけた過剰ぎみかつ雑多な荷物群に対し、しばらく腰を落ち着けるための作業に没頭していると、木で出来たテーブルの上に、小皿に乗ったこれも小さなカップが運ばれてくる。なにやらポーションとスティックシュガーも、カップの脇で申し訳なさげといったふうに皿に乗っている。テーブルに挿さった日傘の落とす、赤味がかった影のなか、座するグレイをちらと覗くと、一握りの漆黒がけむりを立てて、濁り渦巻いているのが見える。
面白くもない観察からひとまず目を逸らして、懐から紙のちいさな箱を取り出し、安物の紙煙草を一本、乾いた唇に挟む。惰性のようなしぐさで持ち上げる、握った右手がかちりと機械の火を打つ。すぐに陽炎がその紙煙草の白い先端をちろりと舐め、一瞬だけ先端が青白く光ったかと思うと、立ち上る一筋の細い紫煙が視界を縦に両断した。この一連の作業にも、最近やっと不慣れの所作が消えてきたかといったふう。
煙を吸い、幾許吸気を止め、そのまま吐き切った後、カップを持ち上げ、真っ黒なままのエスプレッソを少し飲む。今朝起きてから何も口に入れていないが、空虚な身体を紫煙と泥水の退廃色に浸しておけば、それでしばらくは僕もいっぱいになるのだった。
 
別に好きで喫んでいるわけでもなければ、こいつの銘柄などというものにもまた興味はない。煙さえ出れば何でもよく、別にそのへんの路傍の名前も知らない草を紙巻に詰めて吸おうが構わない。ただ、である。紫煙を吸っている時だけは、僕の停滞が承認されるのだ。たとえ理由もなく、何もせずただ座ってしまうなどという行為に及ぼうが、こいつに火さえ点けてしまえば、熱が小さな円柱をすっかり焼き尽くしぼくの指まで及ぶか、その前にぼくがこいつに見切りを付けてやるまでは、誰もぼくの停滞を咎めることは出来ない。こいつがその傍証と、理論になるからだ。
理論のないものはなべて脆弱だ。それは基礎のない建築のようなもので、轟音と共に足下を揺さぶられても、暴風に横面を殴られても、ただ不安そうにゆらゆらと揺れていることしかできない。いずれは破壊される。理論を持つことは喫緊の課題でありつづけ、それは病毒の根底で恐怖と結びついているようにも思えるが、そのような思索にはとくに興味も持てなかった。
 
さて、ひとまずは満足すると、そうしてはじめて辺りに関心を散らしてみる。ここは道路脇の平凡なカフェで、まわりを見渡してみると、座っている人間も見当たらず、どうやら僕はその広いテラスに一人でいるようだった。昼間にも関わらず、どうも寂としている。僕以外は皆、冷房の効いた室内にいるらしく、茶色を散らしたガラスの向こうに、まばらな影が気だるそうに動いているのが見える。
僕のいるテラスは木製の建材で路面より一段高くつくられていて、その周りを腰くらいまではあるかという柵が囲んでいる。道路の車や人間とは、ちょうど隔絶されたかたちになる。
このテラスを支えているのは、連綿と続く系譜、恒久たる差別意識のサロン化だった。そこに座る、わが視界を眺め、連想のごとく思いを馳せるのは、まさかここではない、かつて停滞が太陽だった時代の、その素朴な戯画であった。女のか細い指のふたきれが、淑やかにフィンガー・サンドイッチをつまむのが終わると、高潮する唇を悪戯げに運動させ、狡猾な砂漠の蜥蜴のように舌を出し、軽く指をねぶる。口腔のなかに獣の眼光の如く見せる、僅かに光を滾らせる尖った犬歯の一瞬すら、緻密に計算された芸術の奥ゆかしい披瀝のよう、なべて顔を上気させながら、停滞のなかにいるだれもがここから逸脱し、現出する抗いえない停滞の暴力を共に賛美しているのである。とはいえそれをわが視界に投影するにはどうも、体力がとりあえずは足りなかった。
 
 
興味をやっと此方に移す。実際に視界に写っているのは人煙たちのぼるアスファルトの光景である。この光景はふだんは憂鬱なものではあったが、このテラスに座っている間だけは、それほど気分を害するものではなかった。むしろ紫煙の肴としては格好の題材であった。
目前にあるのは相変わらず滔々たる濁流であるが、視点を変えれば、一様に沈鬱な顔をして、一切意図の読み取れぬ機械的な移動にひたすらに精を出す、またその傀儡たるアトムどもが見えるのである。平時の奴らの運動は毒虫どもの亜種と言ったところ、こちらを睨みつけ、奔流に飲み込まんと手を伸ばしてくるなんとも厭な存在ではあるのだけれど、このテラスに居り、また紫煙を燻らせている間は、奴らが僕に干渉することは敵わないのだ。干渉するどころか、奴等すらも奔流の傀儡であるのだから、停滞の中にいる僕を見たらどう思うだろうか。顔を覗き込んでみると、相変わらずいつもこちらに向けてくる千靭たる漆黒の眼差しに、この時だけは僅かに翠玉の色が差すように見えるのである。それが僕の気分をより良くさせた。まさか味などあるはずのない無味乾燥の煙が、美味い、と感じられる。
 
しばらく灰煙と黒色と緑で彩られた極彩色の風景を眺めていると、視界の上端から妙な闖入者が現れた。場違いな純白が不規則な運動をしながらひらひらと視界の消失点へと向かってゆく。まさかこの季節に雪が降るわけもあるまいとすこし注視してみると、どうやら蝶であることがわかった。存在としては、季節柄まあ雪よりはより適切ではあるが、にしてもここではやはり場違いであることは否めない。視界の中でまずそれが蝶であるなどと咄嗟に判別できなかったし、それよりも動いている蝶など見かけたのは何年ぶりかと考えてしまう程度には僕には目新しかった。
やがて蝶は、僕の座っているテラス席の、テーブル上に置いてあるカップの横にふわりと留まり、呼吸するかのように僅かに翅を動かすだけになった。あまりに珍しくて、初めて生き物を見た子供のように、暫く目をまんまるにして眺めてみると、どうもこの蝶のとる形状の、そのあまりの馬鹿馬鹿しさに、思わず呆れずにはいられなかった。
一点の曇りもない純白の翅は薄っぺらい紙を液体糊で貼り合わせ、それを対にしたようなちゃちなつくりで、その四枚の交接点にくっ付いているのは、これもまた吹けば飛ぶ糸くずのような、その機能を果たしているのかすら疑問な肉体である。紫煙を吹きかけてやると、わざとらしく体制を崩し、また少し飛翔をはじめたが、此方をあざ笑うかのようにひらひらと純白を見せびらかしながら眼前を周遊する。上から降り注ぐ熱線と、それに熱せられたアスファルトの、二つの熱の折衝点を結んだ線を漂っているかのようである。そうしてしばらくして、またテーブルの同じ場所に留まった。
 
考えずにはいられないのだが、はたして、この、“虚弱”という概念が受肉したかの如き、哀れな生物がどうして今の今まで生き延びてこられたのだろうか。どう見ても飛翔に耐えうる存在ではない。
飛翔は果てのない暗闇を志向し前進する、孤独で苦悩に満ちた生の運動だ。血迸る肉体の、飛翔のための機関へ繋がれた貪欲な動力源へと、おのれの生命を少しずつ注ぎ込み、僅かばかりの浮力を生み出しつづけ、身重な体躯を地の底へと引きずり込もうとする恐ろしい力に必死に抵抗する運動だ。生命が有限である限り、いずれはその運動が限界に達し、あの力に屈服し、引きずり込まれてゆく。その不可避の墜落から少しでも目を逸らそうと、みな必死に機首を上げ、飛翔を続けているのだ。それは儚く苦悩に満ちてはいるが、同時に美しいものでもあるはずで、また生命の至高の運動であるはずなのだ。そうでなくてはならない。
ところがこいつは、その美しく気高い概念とは程遠い存在であるように見える。一切飛ぶ気が感じられない、飛翔という運動を嘲笑するかのような、か弱い純白の翅。まさか生命が通っているなどとは到底思えない、黒く小さな肉体。飛翔だと。まさか、どうしてこのような者が、あの力に抵抗するだけの浮力を生み出し得るものか。どうしてこのような者を、何者も殺さずにいる。
 
 
 
視界に写る雑多な情報が結実し、一つの思い付きが頭を掠めた。
もしかして、こいつは浮遊しているのではないか。
 
あの力はこいつを墜落させないのではなく、墜落させることができないのではないか。
浮遊は、飛翔とは似て非なる、真逆の運動だ。なにか特別な力で、抗い難く度し難いはずの重力を断ち切るのだ。前進せねば浮力が生まれないのと違い、浮遊には前進する必要はなんら無いのである。つまり、停滞しているのだ。
そう考えると、こいつの見せる虚弱の属性は、飛翔する者を欺くための仮面でしかなく、それにより己に内在する強大な浮遊の力を上手く隠しているのだ。頼りなさげに翅を動かしているように見えながら、実は翅など動かす必要は全く無く、浮遊をもって十全にその運動を完了させているのではないか。そうとでも考えないと、こいつが生きていることが説明できないし、またそう考えると、こいつが生きていることに怒りが湧いてくるのだ。また、こいつは浮遊の一例に過ぎず、本当は浮遊の運動をしている者は溢れかえっているが、こいつのようにまるで飛翔をしているかの如く見せ、僕の目を欺き続けてきたのではないのだろうか。
そのような考えで、先ほどまで見ていたはずの極彩色の風景を改めて見てみると、事象の集合体どもから発せられる所々の浮遊の披瀝の一端が、不快なノイズとして視界に入り込んできているように見える。その光景のあまりの恐ろしさに思わず息を呑み目を伏せる。今の自分の停滞は本当の停滞ではなく、飛翔からの、ひとときの止まり木への逃避に過ぎない事を思い知らされるようだ。結局は飛翔に裏付けされた停滞であり、飛翔に手綱を掴まれ続けているのには変わりないのだ。紫煙は、紫煙にしかなり得ないのだ。
 
 
それを、試験してみようか。やつが本当に浮遊しているのか。この紫煙をもってして。
咥えた円柱の熱は、まだその半分も燃やし尽くしていなかった。灰皿の淵を叩いて灰を落とし、炎を剥き出しにする。これを、やつに接触させてやるのだ。
 
やつが浮遊などしておらず、見た目の通りの属性を持った脆弱な存在であるのなら、やつにとっては強大な、この悪意に耐える術はない。炎が触れた瞬間に、油に浸した和紙を燃やすように、炎がその肉体を一瞬で飲み込み、消える。光を放ち、けたたましく炎上する程の生命があるはずもなく、また灰を生み出すほどの質量もまたあるはずがない。ただ、消え去るはずだ。そうして僕の妄執も、耳鳴りも、ノイズも消える。
もし、やつが浮遊しているのなら、飛翔と違う理のなかにいることが、たとえ何が起こるにしろ、炎を当てた瞬間にわかるはずだ。そうしたら、この妄執は僕を食い尽くし、どうしようもない諦念をもって、僕の飛翔を止めさせるだろうか。
 
試験だ。
煙草を右手に持ち替える。立ち上るじぐざぐな紫煙から、手がどうしようもなく震えているのがわかる。鼓動を早めながら、純白に炎を近づける。強大な悪意が近づこうとしているのに、やつは少しも動こうとしない。このままゆけばやがて熱が触れるだろう。そうして、やつの正体が判明する。この妄執も。
一瞬、円柱が毒虫の形状を取ったように見えた。
 
 
目を瞑る。
 
 
 
目を開けると、やつは消えていた。やつのいた場所には、炎が紫煙をあげているだけだった。しかし目を上げると、視界の端に白いものが見えた。もう手の届かない位置にいた。呆然とする僕をよそに、やつはそのまま見えなくなった。
 
しばらく空を眺めていた。雲一つない青空だということにやっと気づいた。どうも暑いわけだった。
目を泳がせていると、道をゆく人間と目が合った。その射線をたどる、光線的な直情が僕を一瞬で貫いた。世界が線になった。その目の中に広がっているのは、漆黒だった。線上に立った僕の、背後から差す灼熱の熱線がそこに落とす、永遠の影がただひたすらに広がっていた。僕は、終わりがない真っ暗な途次のなかに一人立たされていた。繰り返し繰り返し、反復する黒い光が網膜を貫き、目に映るのは、反復されながらより深さを増してゆく、千靭の奈落である。反復は一瞬で頂点に達した。完全な直線の底に、毒虫の鉤爪が写った。
 
わっと声を上げ、目を閉じうつ伏せた。瞼の裏に広がる暗闇が眩しかった。
手に熱が達する感覚があった。炎が僕の手を焼こうとしている。目を瞑ったまま、とっさに炎をテラスの外のほうに投げた。こんなもの、この炎に焼かれてしまえばいい。
 
 
手投げられた炎は何にも届かず、ただアスファルトの熱に飲み込まれ、ジュッと小さな音を立てて消えた。