アニメ「ラブライブ!」は矢澤にこの物語であることを私が主張するいくつかの理由

はじめに
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 アニメ版「ラブライブ!」が2013年一月に放映開始され、先日最終回を迎えた。私は最終回を見て、アニメ版「ラブライブ!」は矢澤にこの物語であると確信した。

 その理由をこれから述べていくにあたって、ひとつ注意すべき所がある。電撃G'sマガジン誌上で展開されている読者参加型企画「ラブライブ!」とアニメ版『ラブライブ!』にはキャラクター設定にいくつかの差異がある。そもそもラブライブ!のオリジンは誌上版のほうにあり、アニメは公式ではあるものの、企画自体は後発のもので、アニメ以前にも誌上版でラブライブはボイスドラマCDや誌上でのある程度ストーリー性を持った連載など独自の展開がなされていた。しかし、アニメ化にあたってシリーズ構成に花田十輝を新しく迎えたアニメ版「ラブライブ!」は、ストーリーの構成の都合上、誌上版とは少し異なったキャラクター設定がなされている。アニメ版「ラブライブ!」とその他の媒体で展開されている*1ラブライブ!」で同キャラクター間でも設定が食い違う事があり、私が多岐にわたるラブライブ媒体のなかからあくまでアニメ版のキャラクター描写を参考にするのは、そういう理由があるからである。*2

 本稿ではその前提を踏まえた上で、アニメ版「ラブライブ!」(以下「ラブライブ!」)は矢澤にこの物語であると私が確信した理由を述べていく。

 

 1, 矢澤にこの一貫性

 矢澤にこのアイドルへの目標の高さは、作中で如実に描写されている。「ラブライブ!」第五話『にこ襲来』では高坂穂乃果たちμ'sに対して矢澤にこが何故かちょっかいを出すという出来事を中心に話が展開していくが、その理由が垣間見える描写が中盤にある。五話中盤で生徒会副会長である東条希は、矢澤にこが所属するアイドル研究部は矢澤にこを残して全員辞めてしまったという事実を明かし、その後の台詞で「アイドルとしての目標が高すぎたんやろね、ついていけないって一人辞め、二人辞め」と述べる。さらに、「ラブライブ」第四話『まきりんぱな』のラストシーンにおいても、矢澤にこはアイドル活動を始めだしたかけだしのμ'sの公式ホームページと思われるサイトに(恐るべきタイプ速度で!)このようなことを書き込んでいる。

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この段階では矢澤にこに関する描写が少なかったので、一見するとただのいちゃもん、やっかみの類に捉える事もできてしまうが、前述のアイドルに対する目標の高さを踏まえると、この書き込みはその矢澤にこのアイドルに対する目標の高さの裏返しともとる事ができる。

 矢澤にこの具体的なアイドルへの目標の高さが垣間見える描写として、μ'sメンバーに対するアイドルへのこだわりの指導(ともすれば押し付け)がある。事あるごとに自分の目標とするアイドル像を持ち出し、それが少し古臭かったりズレていたりするのが「ラブライブ!」におけるコメディリリーフとしての矢澤にこの役割を象徴しているのだが、その中に

「アイドルというのは笑顔を見せる仕事じゃない、笑顔にさせる仕事なのよ」(第五話『にこ襲来』より)

という台詞がある。この矢澤にこの信念は、物語のなかで終始一貫している。最終話においても、矢澤にこは、ラストのライブシーンの前の掛け声で、「今日みんなを、一番の笑顔にするわよ!」と言う。アイドルを仕事と表現する所が、μ'sの他のメンバーと矢澤にことのアイドルに対する意識の違いが如実に現れている所であるし、アイドルは演技である、仕事であるというのは矢澤にこという人物の根底にあるもので、これはブレることがない。*3この矢澤にこの強さは非常に魅力的で、「ラブライブ!」の物語の支柱たりえる信念を持ったキャラクターであると私は考える。

 

2. ジェロニモ矢澤にこ

 矢澤にこは凡人である。他のメンバーが特筆すべき能力や資質を持っている事がよく描写される事に比べると、矢澤にこには能力も資質もあまりクローズアップされることがない。矢澤にこ自体は、南ことりの衣装製作のアドバイスをしてμ'sに貢献している、という事になってはいるが、前項の「アイドルに対する目標の高さ」以外には特筆すべき才覚というものが描写されることはほとんどない。むしろ他のメンバーよりも劣っていると描かれる事もある。例えば第六話『センターは誰だ?!』において、矢澤にこはリーダーを決めるためにメンバー内での勝負を提案する。矢澤にこは最大限自身に有利になるように対決を(こっそり)セッティングするが、結果として何も用意せず大幅に不利な状態で勝負に臨んだ他のμ'sメンバーと平均して同等かそれ以下という結果を残してしまう。

f:id:kumakiti300:20130408092825j:plainごらんの有様

もちろん、カラオケの採点は歌の上手さを直接表すバロメーターではないし、ダンス対決に使った"Dance exPLOSION"(恐らくDance Dance Revolutionがモデル)は矢澤にこ自身もダンスが上手だから点数が取れるというわけではないと述べているが、それでも"矢澤にこの能力が劣っている"という記号としては十分な結果になっている。さらに同じく第六話のリーダー決めでは、矢澤にこはリーダーの資格として3つの条件を挙げている。

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1,誰よりも熱い情熱を持ってみんなを引っ張っていけること。

2,精神的支柱になれるだけの懐の大きさを持った人間であること。

3,メンバーから尊敬される存在であること!

矢澤にこはこの条件に自分が合致していると信じて疑わないのだが、話の展開を追っていくと、「ラブライブ!」を見ている人間には、これは高坂穂乃果の事を言っているのだということが自然にわかってしまう脚本になっている。矢澤にこはこの中で一番リーダーに対しての憧れと執着を持っていたが、矢澤にこにはその素質はないのだ。

 その他にも矢澤にこが劣っていると感じさせる描写は多くある。例えば、第九話『ワンダーゾーン』においてグンバツのスタイルを誇る絢瀬絵里を下から舐めるようにパンした直後に横にいる矢澤にこの貧相な身体*4にフォーカスするなど、矢澤にこの身体の乏しさは度々強調されている。*5

 

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 第十話『先輩禁止!』においても、家に料理人がいると西木野真姫が話すのを聞いて必要もないのに自分の家にも料理人がいると嘘をついてまで張り合ったり*6、スタイルの良さに軽い嫉妬を覚えて背伸びしようとしたりと、明らかに矢澤にこは品性も感性も凡人そのものである。

f:id:kumakiti300:20130408141733j:plain問題のシーンだが、いくらなんでもデッサンが狂いすぎているので明らかに作画ミスである。ソフト版での修正が待ち望まれる。

しかし、マンガ的お約束な才人ばかりのμ'sにおいて矢澤にこの、劣っていることを人並みに気にして、張り合おうとしたりする、という属性は唯一無二の魅力を持って立ち現れる。矢澤にこの持つアイドルらしからぬ人間臭さと残念さが見ている人間の共感を呼び、「ラブライブ!」世界への感情移入をスムーズにさせる。アニメ的なご都合主義世界と、なんでも都合よくは行かない現実的な世界の橋渡しをするのが、矢澤にこだ。矢澤にこは歌もダンスも上手じゃなくても、ファンが付く、アイドルになれるという「ラブライブ!」の一種のテーマを体言している存在であると私は考える。

 

3, 高坂穂乃果と矢澤にこ

 「ラブライブ!」の主人公は高坂穂乃果である。物語は最初から最後まで高坂穂乃果を中心に展開していく。「ラブライブ!」の前半はメンバー9人のμ'sが結成されるまでの物語になっているが、このμ's結成においても高坂穂乃果の存在は大変に大きな役割を果たしている。メンバーは穂乃果以外ほぼ全員、高坂穂乃果を契機としてスクールアイドル活動を始めている。メンバーにとっての穂乃果の存在の大きさを象徴するものとして、第十二話ラストにおいて高坂穂乃果がアイドル活動を辞めてしまった事を受けて、μ'sがあっさり解散してしまうという描写が挙げられる。西木野真姫はμ'sの解散について「穂乃果がいないなら、解散したようなものでしょ」と言っている。μ'sのなかでの中心はあくまでも穂乃果であり、「精神的支柱」であり、μ'sの象徴そのものとなっている事がわかる。

 

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 その今まで支柱となっていた高坂穂乃果が十二話で見せた弱気はμ'sメンバーにとっても大きな転機となる。第十二話では、高坂穂乃果は南ことりの留学をきっかけに精神的に弱ってしまい、ネガティブな言葉を吐き出してしまう。この当時穂乃果の台詞が本心からなのかそうでないのかは脚本の上では明らかにはされていないが、この台詞と第三話ライブシーン後の穂乃果の台詞が明らかに矛盾しているのを見て、脚本段階でキャラクター設定が破綻していると述べる議論がある。私はそれには賛同することができない。穂乃果は超人ではないし、高校生であるから、ブレることもあるし、弱い所を見せることもある。私はあれは本心ではなく、穂乃果が精神的に弱っている時に思ってもいない事を口にしてしまったものと考える。今まで穂乃果には弱さを見せる描写はあまりなく、μ'sを纏めていく強力なリーダーシップを持った物語のヒーロー的な超人として描かれていた。しかしその穂乃果がここで急に弱さを見せるのは、今まで超人高坂穂乃果を見ている人間にとっては意図が読みにくく、すんなりとは受け入れにくい展開になっている。しかし、人間らしい弱さを持ちながらもアイドルという超人になり切ろうとする矢澤にことの類比によってこれをすんなりと受け入れる事ができるのではないだろうか。年相応の弱さを備えたキャラクターがμ'sのメンバーにいるからこそ、穂乃果の弱さに共感することができる。したがって、この状態の穂乃果に対して本当の意味で寄り添う事のできるキャラクターは矢澤にこの名を置いて他にない。

穂乃果「続けます!」
えり「なぜ?これ以上続けても、意味があるとは思えないけど」
穂乃果「やりたいからです!」(第三話より)

穂乃果「自分がなにもしなければ、こんなことにはならなかった」
穂乃果「出場してどうするの、もう学校は存続できたんだから、出たってしょうがないよ」
穂乃果「それに無理だよ、A-riseみたいになんて、いくら練習したってなれっこない」(第十二話より)

にこ「当たり前でしょ、スクールアイドル続けるんだから」
穂乃果「でも、なんで…」
にこ「好きだから」(第十三話より)

第十三話における矢澤にこの台詞は、第三話の高坂穂の果と絢瀬絵里のやりとりを踏襲しているようにも見える。第三話のライブの時、矢澤にこは座席に隠れてこっそりこの言葉を聴いていた。なので、矢澤にこが意識的に台詞を返したのかもしれないし、矢澤にこと高坂穂乃果の根底にある想いがシンクロしていることの象徴かもしれない。そして十三話において穂乃果に発破をかけるような台詞を言えるのも、あの場面で穂乃果の「違う!私だって…」という本音を引き出せるのも矢澤にこしかいないのだ。

 第三話のライブシーンは、高坂穂乃果という人物を象徴するシーンだった。初ライブを目指し懸命に練習しライブの宣伝を行うも、当日の講堂は殆ど無人。しかしその状況でも諦めずライブをやり遂げ、絵里に対しアイドルを続けると宣言する。東条希はこの時を「完敗からのスタート」と表現している。そしてここに、矢澤にこがいたということがキーになる。これを踏まえて、第十二話の穂乃果に対する矢澤にこの台詞を見てみると、

「にこはね、あんたが本気だと思ったから、本気でアイドルやりたいんだって思ったからμ'sに入ったのよ、ここに賭けようって思ったのよ、それをこんなことくらいであきらめるの?」(第十二話)

こんなことで諦めるの?という言葉は、前述の「完敗からのスタート」を踏まえているものだと考える。矢澤にこはこの時諦めなかった穂乃果に本気を見たのだが、それゆえに、第十二話であっさりと諦めてしまった穂乃果に怒りを覚えてしまう。そして矢澤にこも諦めなかった過去を持っており、その過去と穂乃果を重ねていたがゆえの怒りだ。そして、あの場面で穂乃果に対して素直に怒りをぶつけられるのも、同じような挫折の経験を持つ矢澤にこしかいないのだ。

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 以上の議論を踏まえると、終盤に展開されてゆく穂乃果のキーとなる物語に、矢澤にこという存在がどれほど必要不可欠であったかという事が、言い換えれば、「ラブライブ!」を象徴する関係として穂乃果と矢澤にこがどれほどの役割を果たしているか、ということが良く分かる。

 

4,  矢澤にこラブライブ

 矢澤にこの目標はスクールアイドルの祭典、ラブライブへの出場であり、これは真剣にアイドル活動をする矢澤にこにとって一年生のときからの悲願である。矢澤にこは一年生の時同級生とスクールアイドルを結成したが、目標の高さについていけずに矢澤にこ以外のメンバーが全員やめてしまい、ここで大きな挫折を味わうこととなる。そして矢澤にこが三年生の時に穂乃果たちがアイドル研究部に入ってくる、ここまでに大きな空白の期間がある。矢澤にこはこの間たった一人でアイドル研究部の部長として部活を続け、そしてラブライブへの出場を諦める事がなかった。矢澤にこのアイドル、そしてラブライブへの思いの深さはこの経歴からも読み取れる。第十一話でランキングが上昇しラブライブ出場が視野に入った時に流した涙はその思いの深さを如実に表している。

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そして、三年生である矢澤にこにとってはラブライブ出場はこれが最大のチャンスと言っても過言ではなかった。*7同じ三年生の絢瀬絵里と東条希に比べても、矢澤にこのこの年のラブライブに対する思いは並のものではなかったはずだ。

 しかし、第十三話でμ'sの解散が決定した時「あと少しだったのになあ」と漏らす矢澤にこからは、諦めてしまった穂乃果やメンバーに対する恨みの類は読み取れない。ラブライブ出場に対する思いの深さや、矢澤にこの人間らしく嫉妬したりする性格からは、あまり考えられない事だ。さらに、十三話では解散の直接の原因となった穂乃果に会っても、素直な怒りをぶつけはするものの、禍根を残したり謝罪を要求したりするような事は無く、むしろ自分たちのライブに誘うという行動を見せる。穂乃果と矢澤にこの関係は、もはや許す許さないの次元ではないのではないだろうか。さらにμ'sメンバーが散り散りになっていくなかで、矢澤にこは星空凛や小泉花陽を誘い、μ'sではないがアイドル活動を続けようとする。矢澤にこはただ目標のみが高いのではなく、決して諦めないしぶとさも持っているのだ。そして第十話で部長としての号令を言うことのできなかった矢澤にこが、第十三話においてしっかりと号令を決める。これらから読み取れることは、それそのもの矢澤にこの成長である。矢澤にこの人間性の大きさ、器の深さが最終話においてはっきりと示されるのだ。その人間性は、物語序盤のコメディ描写からは考えられないほどである。以上より、私は「ラブライブ!」においてもっとも成長したのは矢澤にこであると結論づける。矢澤にここそ、「ラブライブ!」の主役にふさわしい成長劇を見せた人間である。

 

5, 矢澤にこ

 これはほぼ自分用に、矢澤にこ自体を語るという陳腐な事をするのではなく、「ラブライブ!」における矢澤にこの果たす役割というものを出来るだけ客観的に書き出す事によって、物語の登場人物としての矢澤にこに自分が感じる魅力を分析する事が目標だった。そのためシナリオ論もろくに知らずに無理やり体裁を揃えたレポートふうのこの記事は、「ラブライブ!矢澤にこの物語であるという主張を支持するものにしてはやや脆弱な所があるという事は認めざるを得ない。だから肩をはらず、矢澤にこを主軸として「ラブライブ!」を見ると、また違った物語の一面が見えてくる、という提案程度に捉えた方が良いかもしれない。

 

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 しかし他人にはどうあれ、私の中では矢澤にここそ「ラブライブ!」の主役であるという事の確信はますます強くなる。アニメは一旦終わりこそすれど、彼女たちの「ラブライブ!」はまだまだ終わらないという気持ちをまた新たにし、これからの矢澤にこの霊性の私の証言をもって壮大な蛇足であった本稿の締めとさせていただく。

 

6, 結局言いたかったこと

ラブライブ面白いなあ!

*1:例えば漫画版は、公式でありながらもアニメや誌上ともまた違った設定になっている。

*2:私が、アニメ版ラブライブからラブライブを知ったので、雑誌が中心となるアニメ以前の資料を殆ど入手できなかったのも大きな理由、というかそれが本理由。

*3:ちなみに、ライブPVやドラマCD等では矢澤にこは小悪魔系キャラクターとして描かれており、所謂キャラチェンジに関しては曖昧にされていた。しかしアニメ版における設定を鑑みて、それが演技であると考えてみると矢澤にこだけはアニメ以前の初期から一貫してキャラクターがブレていない事になっている、という仕掛けがある。

*4:私は好きだし私の他に好きな人間もいると個人的に感じるが、一般には劣っていると見られているという話。

*5:スマートフォン向けゲームのスクールアイドルフェスティバル内のストーリーでは、真姫に貧相な身体と直球に表現されてしまっていた。

*6:アニメでは直接的な描写はないが、矢澤にこの家は貧乏であるという説もあり、私は大変信憑性の高い説だと思っている。参考:http://sakasakaykhm.hatenablog.com/entry/2013/03/15/002144

*7:ラブライブの開催期間は、実のところよくわかっていない。劇中で明示されていないのでただの推測ではあるが、終盤では学園祭シーズンの夏は過ぎているし、ことりの留学時期はおそらく欧米のセメスター制に合わせているのだろうと考えると、最終回時点でだいたい9月の上〜中旬くらいであると考えられる。その時点で一回ラブライブが終わっているのだが、それを受けてもにこはまた次がある、と言っている。となると、10〜3月の卒業までの期間にもう一回ラブライブが開催されるのかもしれない。