7.17

 

 

少しばかり楽しくなるような経緯があって、僕はウォーホルの作品がプリントされた、ユニクロで買った黒地のTシャツを着ている。こんなもの、普段の僕だったら絶対に買わないし、買ったところで人前で堂々と着ることなどできない。
 
元々、母親が適当に見繕って弟に買ってきたものらしいのだけれど、弟はそれを着るのを嫌がったらしい。理由が面白い。人の顔がプリントされたTシャツは気持ち悪いからヤダ。そりゃそうだ。
それで僕が発見した。洗濯物の山の中にくたびれたウォーホルを見つけた時、僕は正直びびった。ウォーホルのTシャツなんて悪趣味だなあ、誰が買ってきたものだろうと聞いてみたところ、以上の経緯が判明した。さらに僕がびっくりしたのは、母親はウォーホルを知らずにこのTシャツを買ったということだ。しかも、よりによってユニクロで。しかも、よりによってウォーホルを。彼女はこれを、ただのオシャレな柄としてしか見做さなかったというわけだ。これはかなり芸術として完成しているし、面白かった。僕の抱いた浅薄な感情が馬鹿馬鹿しくなってきた。彼女は僕なんかよりもより賢く、ウォーホルの死体の扱いを心得ている。
 
 
 
 
我が母親が成し遂げた大いなる業績に敬意を払い、僕もウォーホルの事など考えないでTシャツを着ることにした。そうだ、彼の事なんて一切考える必要はないのだ。彼が生きていたら、僕や僕の母親のような人間を見てどう思うだろうか、などと気にしなくていいのだ(多分、心の底から楽しく笑ってくれると思うが)。なにせ僕たちは生きているのだから。死人どもの骸で楽しいコラージュをつくってやれるのだ。
 
 
死人はなべて偉大に見える。なにしろ、死んでいるからだ。死を達成した時点で生きている人間の誰よりも偉大に見えるのだ。美を志向する我々の意志は、この点で甘美な死のバイアスから逃れる事ができない。しかし、一旦目を背けてみれば、死人など大したことはない。なにしろ、死んでいるからだ。生命の充血する人間の織りなす力強く血の通った巨大な流通やマーケットは、死人どもの硬化して腐りゆくだけの肉よりも鮮明に匂いたつ。ユニクロがウォーホルを殺した?そんな馬鹿げた話ではない。ユニクロという巨大な企業に関わり、そのマーケットを構成しているあまりにも多くの強力な人間存在の輝きにとってすれば、ウォーホルの存在など取るに足らないものでしかなかったという話だ。ただのファッションでしかなかったのだ。だから素晴らしいのだ。ウォーホルの事など考えなくていいとは言ったけれど、もし彼が生きていたら、この光景を賛美してくれるだろうな。
 
 
Tシャツを着て学校に行った。人に会ったとたん、一瞬でユニクロがバレた、笑
良かった、ウォーホルはちゃんと死んでいて、僕の周りの人は生きているのだ。